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デモラン&レースカー展示

マツダ 787B 55号車 1991年 ル・マン24時間レース優勝⾞

マツダ 787B 55号車 1991年 ル・マン24時間レース優勝⾞

ジョニー・ハードート(イギリス)、フォルカー・バイドラー(ドイツ)、ベルトラン・ガショー(フランス)の⼿により、1991年のル・マン24時間レースで総合優勝を飾ったシャシーNo.787B-002。国内ではこの55号⾞がル・マン優勝20周年となった2011年に、1991年当時のメカニックやエンジニアらの⼿によってフルレストアされ、以後動態保存されています。55号⾞は、マツダ株式会社により永久保存マシンとされているため、通常は広島のマツダミュージアムで展⽰されています。もともとこの55号⾞は⾛る機会がごくわずかに限られており、今回のデモランはまさに貴重なワンシーンと言えます。

1991年ル・マン優勝時のデータ:
周回数362周 4923.2km / 平均速度 205.333km/h / レース時ベストラップ 3ʼ42.958

ファミリアロータリークーペ 1970年スパ・フランコルシャン24時間レース仕様 (オーナー:加藤 仁 氏)

ファミリアロータリークーペ 1970年スパ・フランコルシャン24時間レース仕様 (オーナー:加藤 仁 氏)

1968年、少量⽣産のスポーツカー、コスモスポーツによるニュルブルクリンク84時間レース(マラソン・ド・ラ・ルート)参戦によって、ロータリーエンジン⾞によるレース参戦の幕が切って落とされると、同年7⽉にファミリーカーとして発売されたR100(⽇本名:ファミリアロータリークーペ)でも早速レース参戦計画が策定されました。1969年には、コスモスポーツに代わりマラソン・ド・ラ・ルートに参戦し、1970年にはシルバーストン、ニュルブルクリンク、スパのヨーロッパツーリングカー選⼿権に出場しました。現地では格上のマシンと互⾓に渡り合う⼩柄なロータリークーペは、「リトルジャイアント」というニックネームで呼ばれていました。このマシンは、1970年のスパ24時間に参戦した当時の仕様を忠実に再現しており、国際的なヒストリックカーレースに参加可能となるFIA/JAFヒストリック・テクニカル・パスポートも取得している本格仕様のレーシングカーとなっています。

サバンナRX-3 マツダオート東京 寺⽥陽次郎仕様 (オーナー:辻 良冶 氏)

サバンナRX-3 マツダオート東京 寺⽥陽次郎仕様 (オーナー:辻 良冶 氏)

サバンナクーペに輸出⽤の12Aエンジンを搭載したサバンナRX-3は、「ロータリー対スカイラインGT-R」という構図を脱却し、「ロータリーに敵なし」のフレーズを⽣んだエポックメイキングなマシンです。スカイラインGT-Rを下したのち、サバンナは登場からわずか4年数ヶ⽉で国内レース100勝を達成するなど数々の逸話を残し、現代でもその研ぎ澄まされた⾵貌は⾒るものを魅了する独特なオーラを放っています。このマシンは1974年の富⼠GCビクトリー200キロレースに出場していた、マツダオート東京(寺⽥陽次郎)仕様を再現しています。エンジン、サスペンション、ブレーキなどにも⼿が加えられており、⽐較的数の多いRX-3のレーシングレプリカの中でも格段のスピードを誇っているマシンです。

サバンナRX-3 1974年⽚⼭レーシング ⽚⼭義美仕様 (オーナー:成⽥ 秀喜 氏)

サバンナRX-3 1974年⽚⼭レーシング ⽚⼭義美仕様 (オーナー:成⽥ 秀喜 氏)

同じロータリーユーザーであり、マツダ指定のスポーツコーナーでもあった「⻄の⽚⼭マツダ」に「東のマツダオート東京」。レースでは僚友でもあり、ライバルでもありました。特に⽚⼭義美はマツダワークスドライバーのチーフ格であり、“天才”または“怪童”とも呼ばれるほどの速さを誇っていました。⼀⽅マツダオート東京(現在の関東マツダ)は、ユーザー団体であるマツダスポーツカークラブ(MSCC)を傘下にもち、多くのカスタマーにレース体験の機会を提供していました。このマシンはもう1台のマツダオート東京仕様のRX-3と同様、1974年の富⼠GCビクトリー200kmレースに出場した「⽚⼭ワークスカラー」と呼ばれていたものです。

サバンナRX-7 1979年デイトナ24時間レース仕様 77号⾞ (オーナー:成⽥ 秀喜 氏)

サバンナRX-7 1979年デイトナ24時間レース仕様 77号⾞ (オーナー:成⽥ 秀喜 氏)

1978年にデビューしたサバンナRX-7は、RX-3の名声を受け継ぐピュアスポーツカーとして登場。スタイリッシュなシルエット、軽量でハイパワーな12Aロータリーエンジンをフロントミッドに搭載し、卓越な操縦性で瞬く間にあらゆるモータースポーツシーンの主役の座につきました。その象徴的なレースが1979年デイトナ24時間レースです。デビューレースながら⽚⼭/寺⽥/従野組の7号⾞が総合5位 GTUクラス優勝を飾り、もう1台のW.ボーレン/J.ダウニング/R.マンデビル組の77号⾞が総合6位 GTUクラス2位という好成績を残しました。これが後の、ロータリー⾞によるIMSA 通算100勝へとつながる第⼀歩となりました。7号⾞は⽩とグリーンを基調とし、77号⾞は⽩と⾚が基調となっています。

MIZUNO・SPORTS・88S 1988年 富⼠GC参戦マシン (オーナー:⼤村 正昭 氏)

MIZUNO・SPORTS・88S 1988年 富⼠GC参戦マシン (オーナー:⼤村 正昭 氏)

富⼠スピードウェイをメインに1971年から1989年まで開催された富⼠グランチャンピオン(GC)レース。このマシンは、1988年とGC最終年となる1989年にエイエ・エルグ(フィンランド)のドライブで参戦したものです。シャシーはF3000マシンであるローラT88をベースにGCマシン⽤として専⽤設計されたローラT88/40、ボディカウルは東京R&D製オリジナルモデルの88Qで、エンジンはマツダ757に搭載されていた3ローター⾃然吸気の13Gの市販スポーツキット版である20Bエンジン(出⼒は約450⾺⼒)が搭載されています。⾞両重量は640kg弱と軽量なマシンとなっています。

RE スギヤマ岡部自動車RX-7 JSSレース参戦マシン(REスギヤマ)

RE スギヤマ岡部自動車RX-7

JSS(ジャパンスーパースポーツセダン)レースは、現在のSUPER GTレースの前身としてグループ5(スーパーシルエット)の流れを受けた国内最高峰のスプリント"ハコ"レースとして1984年から主に富士スピードウェイのGCレースのサポートレースとしてスタートしたシリーズ戦です。車輌規定に「参加車両はフロント、リアのエアースポイラー、オーバーフェンダー、サイドステップ等のエアロパーツを必ず装着し、ドレスアップを行うこと」との項目がある様に、マシンは市販車ベースながらグループA車両とは一線を画する、改造範囲が広くスタイリッシュなマシンとなっています。出場マシンの主流はマツダRX-7(SA22C,FC3S)とスカイライン(DR30,HR31)で、RX-7(FC3S)には13BペリフェラルポートのNA仕様(約315馬力)が搭載されていました。このマシンは89年から93年まで「REスギヤマ岡部自動車RX-7」としてRE SUGIYAMAが車両を製作、岡部自動車 長島正明のドライブで参戦していた個体で、レプリカではなくレースに参戦していた実車をレストアし、25年の歳月を経て富士スピードウェイに帰ってきました。

レースカー展示のみ

マツダ 787B 18号車 1991年 ル・マン24時間レース総合6位⼊賞車 (オーナー:Collections K)

マツダ 787B 18号車 1991年 ル・マン24時間レース総合6位⼊賞車 (オーナー:Collections K) マツダ 787B 18号車 1991年 ル・マン24時間レース総合6位⼊賞車 (オーナー:Collections K)

1991年ル・マンに参戦した18号⾞ シャシーNo.787B-001。デイビッド・ケネディ(アイルランド)/ステファン・ヨハンソン(スウェーデン)/マウリッツィオ・サンドロ・サラ(ブラジル)がドライブし、総合6位に⼊賞しました。当時ル・マン出場にはWSPC全戦への参加が義務とされていたため、18号⾞はWSPCへのレギュラー参戦時のカーナンバーとなっています。現存するマツダ787Bの3台の中で1991年当時、テストやレースを含め一番距離を走ったのが18号車。55号車がル・マンで優勝するための貴重な実戦データ収集はこの18号車が担っていたとも言えます。また、1991年のル・マン決勝中におけるマツダ車のベストラップホルダーは18号車という事実も面白いトピックスです。18号車は1991年のシーズン終了後は一般公開された事はなく、2016年に開催されたこのイベントが唯一の公開タイミングでしたが、今回が2年ぶり2回目のお披露目というかなりレア度の高いマシンです。

1991年ルマン参戦時のデータ:
周回数355周 4828.0km / 平均速度 201.361km/h / レース時ベストラップ 3ʼ42.185

レース

マツダファン・エンデュランス(マツ耐)

マツダ車のみで行われる満タン無給油による150分の耐久レース。ノーマル車からチューンアップされた車両も、街中を走る全てのマツダ車で参加できるレースです。競技ライセンスが不要で、限られた燃費の中で完走を目指すため、ドライバーに絶対的なスピードは求められず、一般的なレースよりも気軽に参加できるシリーズです。150分(2時間30分)という規定時間内にどれだけ多くサーキットを周回できるかを競います。1チームにつき4名までドライバー登録ができるため、1人での参加はもちろん、仲間と一緒に楽しむことも出来ます。勝ち負けを競うだけでなく、それぞれのスタンスに応じた楽しみ方が選択できます。マツダの役員・社員で構成されたチームも出場します。ぜひご注目ください。

GLOBAL MX-5 CUP JAPAN 公開テスト

※シリーズ第5戦(最終戦)は翌24日に開催予定
全世界統一仕様のMX-5(日本車名:ロードスター)カップで競うグローバルなワンメイクレース。2006年にアメリカでスタートした人気のシリーズが、日本でも2017年にスタートし今年で2年目を迎えます。世界統一車両、統一ルールのもと、日本では全5戦開催されるグローバルなワンメイクレースです。車両は北米仕様の2.0Lエンジン、左ハンドルのMX-5(ロードスター)をベースに、アメリカで製作された世界共通車両(カップカー)を使用。ドライバーの技量で純粋に勝負できる、イコールコンディションが魅力で、アメリカではトップドライバーへの登竜門的存在となっています。

23日は翌24日の最終戦に向けた公開テストが開催されます。最終戦では、11月にアメリカ・セブリングで開催されるMX-5世界一決定戦の出場者が決定。シリーズ第1位と第2位までに出場権が与えられ、世界への挑戦権をかけた熱い戦いが繰り広げられます。北米仕様のカップカーの迫力ある走りにも注目です。

9月24日イベントのご案内

翌9月24日「2018 GLOBAL MX-5 CUP JAPAN FINAL」が開催されます。

2018 GLOBAL MX-5 CUP JAPAN FINAL

2018 GLOBAL MX-5 CUP JAPAN FINAL

24日は、GLOBAL MX-5 CUP JAPANの最終戦をメインに、マツダ車で参加できる「参加型モータースポーツ」のマツダファン・サーキットトライアル(MFCT)と、ロードスター・パーティレースⅢが併催されます。また、RX-8のサーキット走行会エイトリアンカップ、RX-7 生誕40周年記念パレードラン、23日に続いてレーシングロータリー・デモラン(マツダ787B、レジェンドカー)など、歴代のロータリー車がサーキットコースを彩ります。

特設ステージでは、GLOBAL MX-5 CUP JAPAN参戦ドライバートークショー&サイン会や、RX-7 生誕40周年記念スペシャルトークショーも。マツダのモータースポーツを体感できる1日です。

GLOBAL MX-5 CUP JAPAN FINAL >

また、RX-7の生誕40周年を記念し「RX-7 40th Anniversary at FUJI SPEEDWAY」も同時開催されます。

RX-7 40th Anniversary at FUJI SPEEDWAY >

※24日は「Be a driver. Experience at FUJI SPEEDWAY」とは別イベントです。23日のプログラム「マツダブランド体験コンテンツ」や「エンターテインメントコンテンツ」などは24日は展示・実施されません。また、別途24日用のチケット購入が必要です。

チケット情報
・一般入場料:1,000円(当日販売のみ / 中学生以下無料)
・パドックパス:2,000円(当日販売のみ / 中学生以下無料)
・駐車料:無料

各レース大会公式サイト(主管:B-Sports)

マツダブランド体験コンテンツ紹介ページ

エンターテインメントコンテンツ紹介ページ

イベントスケジュール・会場マップ

・天候やサーキットコースの路面状況等によって、実施内容を変更もしくは中止とする場合があります。

・各コンテンツの画像はイメージです。実施内容は諸般の事情により変更する場合があります。